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| ■木のはなし
-地元の木で家を建てる- |
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| 私たちが住む日本には春夏秋冬の四季があります。縦横に長い地形がもたらす湿度や温度変化は、冬に雪の降る地方があれば降らない地方もあるように各地によってさまざまです。そんな日本の風土に育った木々たちは、土地に合わせてその年輪を刻んできました。昔から家は近くの山の木を採ってきてつくるのがいちばんだと云います。茨城なら茨城の風土に育った木を使う。「地元で生産されたものを地元で消費する」まさに地産地消の精神と、「適材適所」という言葉のとおり木々の性質を見極め、土台や梁、柱といった用途に分けて家を建てることがごく自然なことではないでしょうか。幸いなことに、ここ茨城には多くの木々が育っています。 |
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| ■県産材の「杉」と「檜」 |
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| 県北に位置する自然豊かな八溝山系と阿武隈山系、そして奥久慈の山々では良質の杉や檜が育っています。 |
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| 茨城の杉(八溝杉) |
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茨城の檜 |
| 「杉」は日本を代表する針葉樹として東北地方から屋久島まで広く分布し、私たち日本人にはとても身近な木として親しまれています。名の由来が「直ぐなる」「直木」からきているとおり幹がまっすぐで割裂性がよく、やわらかく加工もしやすいため、建材としてだけでなく樽などの日用品にも用いられてきました。はっきりとした木目をしており、芯材は赤っぽく、辺材は黄色っぽい色をしています。板材で芯材と辺材が混在したものを源平と呼びます。柱や梁といった構造材だけでなく、床や壁、天井などにも使われます。 |
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「檜」の歴史は古くその語源は、火起こしからくる「火の木」からきています。火が起こせるほどよく乾燥し狂いも少ないため古来から日本建築の材料として用いられてきました。日本最古の木造建築といわれる法隆寺に使われているのも檜です。日本書紀(第一巻/神代)ではスサノオノミコトが「ヒノキは宮殿に」建材として使うよう命じた場面が登場します。つまり、長もちさせる必要のあった神社仏閣などに用いられる程その耐久性に優れていたということです。芯材はうすいピンク色、辺材は白っぽい色で木目が上品できめ細かい肌をしています。 |
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| ■木の特徴 |
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空気中の湿度が増すと湿気を吸い、逆に乾燥すると放湿してくれます。 |
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伝熱性が低いため、夏の暑さを遮ったり冬の寒さから守ってくれます。 |
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細胞の集まりであるためにクッション力があり、衝撃を緩和してくれます。 |
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劇場ホールや楽器などに使用されている様、饗きや吸音バランスを調えてくれます。 |
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木から放たれる香りは、病害虫の繁殖を抑えるだけでなく私たにヒーリングをもたらしてくれます。 |
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| ■森を守ろう |
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昔から木々たちは、その土地に根を張って激しい雨などによる土砂をせき止めたりしながら「緑のダム」として近くに住む私たちの環境を調えてくれてました。国土のおよそ3分の2が森林だといわれる日本の美しい風景をみんなで守っていきませんか? |
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ポエムガーデンハウスの母体である材木屋「丸喬」の鈴木喬は、県北で林業を営む家に育ちました。幼き鈴木少年は職人たちの後について堆肥となる落葉を集めては伐採や植林などの山の仕事を覚え、水車による製材と馬車による運搬を行いました。やがて少年は木場へと丁稚修行に出ます。長さ12尺もある南京下見板を肩にかつぎタコができるまで働きました。その頃はまだ輸入材も少なく新建材など当然ありません。国産材ひと筋できた頃はベニヤってなに?という状況だったそうです。やがて輸入材や新建材の波が押し寄せて国産材への需要が減ることになります。各地の山々は荒れだし、山を守る技術も各地で失われてきました。手入れが行き届かない森の木々は太陽が届かず大きく育つことができません。日本が「木の文化」の国といわれるのは、私たちが山の木を利用して家を建て、残った端材を薪にし焼べるなどの工夫をして暮らしてきたからです。育てたり、使ったりすることで森を循環させながら守ってきたのです。
ここ最近、環境への配慮から本物の木を使った住宅づくりが盛んになりつつあります。経済性や効率性重視の世の中から、あたりまえに自然と暮らしたちょっと前の日本に戻ろうとしているのかもしれません。 |
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